寄り道 : 期待値の導出方法
A.4 ファインマン-カッツの公式から、偏微分方程式を解いて期待値を求める方法
ファインマン-カッツの公式は、おそらく、数学や物理学を専門に研究されている方以外には、全く馴染みのない公式かと思います。この公式が言っている事は、ある拡散過程を取る確率変数 x があって、さらにそれに依存する関数 u(t,x) があったとすると、
「u(t,x) を未知関数とする特定の形の偏微分方程式の解は、u(t,x) の終期条件(に若干修正を加えたもの)に対する条件付き期待値と一致する」
というものです。
初学者にとっては、全く何を言っているのか理解できませんね? 数学的に厳密ではないですが、少し言い換えると、
「ある確率変数に依存する関数の期待値は、特定の形をした偏微分方程式を解く事によって求める事ができる。」
というものです。金融工学の分野の例を使って、さらに言い換えると、
「オプション価格は、特定の形をした偏微分方程式の解として求まる。」
というものです。Black-Scholesが、かの有名なオプション価格の公式を導出したのも、(その論文では明示されていませんが)この方法を使っています。
この公式の証明や、なぜそうなるかの説明は私の能力を越えています。どうか、確率解析の専門書などでご確認下さい。とりあえず、この公式が、金融工学の中で、どのように使われているか、具体例を使って説明し、そこから公式の意味する所を、ある程度把握できればいいかと思います。
A.4.1 ファインマン-カッツの公式を数式で記述します。
Q 測度のもとで、次の様な確率過程を取る確率変数 x があったとします。
dx(t)=μ(t,x(t))dt+σ(t,x(t))dWQ(t)(わかり易くする為、とりあえずシングルファクターモデルで考えます。)
金融工学の世界であれば、x は株価であったり、為替レートであったり、瞬間短期金利であったり、フォワード金利であったりします。モデルのバリエーションは、ドリフト項の係数 μ(t,x(t)) と、拡散項の係数 σ(t,x(t)) のバリエーションで表現されます。
次に、この確率変数に依存する、何らかの関数を u(t,x(t)) とします。この関数は、例えばオプション価格式であったり、Short Rate Model から導出されるゼロクーポン債価格式であったりします。すると、ファインマン・カッツの公式は、 「関数 u(t,x(t)) が、次の偏微分方程式の解である場合、それは u(t,x(t)) の終期条件(に若干修正を加えた値)の条件付き期待値と一致する」 というものです。数式で記述します。
If u(t,x) is a solution of the following partial differential equation
∂u(t,x)∂t+μ(t,x)∂u(t,x)∂x+12σ(t,x)2∂2u(t,x)∂x2+h(t,x)=r(t,x)u(t,x),where u(T,x(T))=g(x(T)) (Terminal condition)
Then
なぜ、A.1 式の形の偏微分方程式が、A.2 式の期待値計算と結びつくのか、式の形を見ただけでは見当もつきません。一般的な期待値計算の方法である、∑Ni=1xi×pi や ∫Ωxi×p(xi)dx からは、あまりにかけ離れています。
ところで、A.1 式の偏微分方程式の形は、Black-Scholes の偏微分方程式(既に基礎編“確率過程のモデルからヨーロピアンオプション価格式の導出”で解説しています。)に似ています。Black-Scholesは、株価の確率過程を記述したBlack-Scholesモデルから、伊藤のレンマと、非常に巧妙な仮説からその偏微分方程式を導出しました。(非常に巧妙な仮説とは、対象資産のリスクを完全に消せるヘッジ戦略の存在です。) そこに、ファインマン・カッツの公式にある偏微分方程式の意味を理解するヒントがありそうです。
一方、A.2 の(条件付き)期待値の式の方にもヒントがあります。g(X(T)) は u(t,x) の終期条件です。u(t,x) をオプション価格式と考えれば、g(X(T)) は満期 Payoff 関数に相当します。また e−∫Ttr(s,x(s))ds は、r(t) をリスクフリー金利と見做せば、これまで何度も見てきた t 時における T 満期のゼロクーポン債価格 P(t,T) を求める式に相当します。という事は、A.2 式は、 [ ] 内の第2項を無視すれば、Payoff の現在価値の期待値を求める式になっています。
第2項は、A.1 式にある非斉次項に Discount Factor を掛けて、tからTまで積分した値になっています。Black-Scholes の偏微分方程式では、A.1 式の非斉次項 h(t,x) は 0 でした。従って、A.2 式の右辺第2項は 0 になります。
ファインマン・カッツの公式が役にたつのは、u(t,x)を求めたければ、上記の微分方程式を解くか、または、一般的な期待値計算の方法を使うか、求めやすい方法を使えば良いという事です。通常は、一般的な期待値計算の方法が簡単で直感でも理解しやすいでしょう。しかし、確率密度関数が解析解として求まらない場合、通常の期待値演算は簡単ではないでしょう。そういった場合でも、上記の偏微分方程式をなんとか解けば u(t,x) が求まる可能性があるという事です。“なんとか解けば”という意味は、解析的に解けなくても、有限差分法などを使えば数値的に解けるかもしれないという事です。もちろん、その偏微分方程式の解が存在する為の、いくつかの条件を満たしている必要がありますが。
A.4.2 Black-Scholesの偏微分方程式
先ほど、ファインマン・カッツの公式の意味を把握する為、Black-Scholes の偏微分方程式に似ているので、そこにヒントがありそうだと述べました。そこで、Black-Scholes の偏微分方程式を、もう一度見直してみます。Black-Scholesの偏微分方程式を再記します。
∂C(t,X(t))∂t+rX(t)∂C(t,X(t))∂X(t)+12σ2X(t)2∂2C(t,X(t))∂X(t)2−rC(t,X(t))=0where C(T,X(T))=(X(T)−K)+ (terminal condition)但し X(t) : 幾何ブラウン運動する拡散過程を取る確率変数(株価を想定)r : リスクフリー金利(定数と仮定)σ : X の瞬間 Volatility (定数と仮定)C(t,X(t)) : X(t) を対象資産とする、満期 T のヨーロピアン Call オプションの価格K : Callオプションのストライク(X(T)−K)+ : 満期 Payoff 関数この式は、ファインマン・カッツの公式における偏微分方程式の中の各関数を、それぞれ下記のように入れ替えたものです。
u(t,x) : C(t,X(t)) μ(t,x) : rX(t)σ(t,x) ∶ σX(t)r(t,x) ∶ rh(t,x) ∶ 0g(x(T)) : (X(T)−K)+Black-Scholes は、この偏微分方程式を解いて、最終的にオプション価格の解析解に到達しました。
一方で、ファインマン-カッツの公式によれば、この解は Payoff 関数の期待値と一致するはずです。であれば、もし確率密度関数が判っているのなら、難しい偏微分方程式を解くのではなく、一般的な期待値演算の方法でも価格式が導けるはずです。公式によれば、終期条件すなわち Payoff 関数 g(x(T))=(X(T)−K)+ の(リスク中立測度下での)期待値を計算すればいい訳で、下記式でも求まるはずです。
EuropeanCallPrice(t,X(t))=DiscountFactor(t,T)∫Ω(X(T)−K)+p(X(T))dX(但し、p(X(T)) は、\(T~時における~X(T)~の確率密度関数)
Black-Scholes モデルでは、株価の確率過程を幾何ブラウン運動と仮定したので、その将来の分布は、対数正規分布になります。従って、株価の対数を取れば、それは正規分布するので、その密度関数はよく知られた形で求まっています。実際にそのプロセスでオプション価格式を求めてみると、基礎編“Black-Scholesのオプション価格式を別の方法で求める”で既に紹介した通り、偏微分方程式の解析解と、確率密度関数を使った期待値計算が一致しました。
結果が一致したからといって、ファインマン・カッツの公式の証明にはなりませんが、公式を理解する上で、いいヒントになると思います。
ちなみに、Black-Scholes の偏微分方程式の最初の3つの項(すなわちファインマン・カッツの公式の偏微分方程式の最初の3項)は、株価 X の確率過程の式を、伊藤のレンマを使って、オプション価格式 C() の確率過程の式に変換した際、そこに現れるドリフト項に相当します。伊藤過程のドリフト項は、dC(t)の微小時間後の期待値に相当します。Black-Scholes の偏微分方程式は、その微小時間後の期待値が、リスクを完全にヘッジした場合、リスクフリー金利のリターンに一致する事を意味します。ファインマン・カッツの公式における、非斉次項 h(t,x)は、オプション価格の微小変動と独立した変量か何かですが(例えば、リスクヘッジの取引戦略では完全に消せない何らかの変量ですが)Black-Scholesモデルでは 0 とされていました。(ファインマン・カッツの公式は、量子力学の分野で登場したようなので、各項の解釈は、もともと別の意味付けをされていたと思います。ただ、金融工学の分野では、上記のように理解するのが直感に訴える方法かと思います。)
いずれにしても、期待値計算をする場合、ファインマン・カッツの公式を使って偏微分方程式を解くか、確率密度関数を使って一般的な期待値計算の方法を使うかは、ケースバイケースです。偏微分方程式を解く方が、難しそうに見えますが、解析解は求まらなくとも、有限差分法などによる数値解は、比較的簡単に求まります。(再度述べますが、解が存在するためのいくつかの条件を満たしている場合のみです。) モデルによって、分布が正規分布からずれて、確率密度関数や分布関数が解析的に求まらない場合は、この方法を使うケースが多く見られます。
A.4.3 ファインマン・カッツの公式の他の応用例
< コルモゴロフの後退方程式 >
もう一度、ファインマン・カッツの公式のスタートラインに立ちます。
公式のベースとなる、ある確率変数の拡散過程は、次の様な確率過程を取ると仮定されていました。
dx(t)=μ(t,x(t))dt+σ(t,x(t))dWQ(t)この式から、x(t) に依存する関数 u(t,x(t)) の拡散過程の式は、伊藤のレンマを使って、下記のように導出できます。
du(t,x)=[∂u(t,x)∂t+μ(t,x)∂u(t,x)∂x+12σ(t,x)2x2∂2u(t,x)∂x2]dt+σ∂u(t,x)∂xdW(t)仮に、u() の確率過程がマルチンゲールになると仮定すると、微小時間後の du の期待値は 0 になります。すると、上式の第2項(ブラウン運動の拡散項すなわち右辺の dW(t) の項)の期待値は 0 なので、ドリフト項も 0 にならなければなりません。すなわち、下記偏微分方程式が成立するはずです。
∂u(t,x)∂t+μ(t,x)∂u(t,x)∂x+12σ(t,x)2∂2u(t,x)∂x2=0ここで、終期条件として u(t,x)=g(T,x(T)) が与えられているとすると、この方程式の解は、ファインマン・カッツの公式を使えば
u(t,x)=E(g(T,x(T)) | x(t)=x)と一致します。A.1式の h(t,x) と r(t,x) を 0 と置けば、A.2 式が上式のようになるのは、直ぐに導けます。この偏微分方程式は、コルモゴロフの後退方程式と呼ばれています。
もし、u(t,x) の確率過程がマルチンゲールで、その終期条件が判っているのなら、A.3式の偏微分方程式を解く事で、関数 u(t,x)、すなわちT時における関数 g(T,X(T)) の期待値を求める事が出来ます。測度変換の所で述べたように、金融商品の価格のニュメレールとの相対価格はマルチンゲールになるので、A.3式を使ってその価格を求めるテクニック方法が、よくみられます。
< Short Rate Modelから導出されるゼロクーポン債価格 >
Short Rate Model では、ゼロクーポン債価格は、下記式を解析して求めました
P(t,T)=EQRN(e−∫Ttr(u)du)この式は、ファインマン・カッツの公式における期待値演算の式で、非斉次項 h(t,x) を 0 とおき、終期条件 g(X(T)) を 1 と置けば同じ形になります。すなわち
u(t,x)=EQ[e−∫Ttr(s,x(s))dsg(X(T))+∫Tte−∫str(u,x(u))duh(s,x(s))ds | x(t)=x]=EQ[e−∫Ttr(s,x(s))ds | x(t)=x]=P(t,T)実際、ゼロクーポン債価格は、満期時 T では、x(T) の値が何であっても、必ず 1 (額面の100%)で元本が償還されます。すると、この期待値演算に対応する偏微分方程式は、
∂u(t,x)∂t+μ(t,x)∂u(t,x)∂x+12σ(t,x)2∂2u(t,x)∂x2=r(t,x)u(t,x),となります。左辺が、微小時間後のゼロクーポン債価格の期待値に相当し、右辺はそれがリスクフリー金利でのリターンに一致する事を意味しています。この式の解が一意に求まれば、(その為には、μ(t,x), σ(t,x) に一定の制約条件がかかりますが、ここでは延べません)それが、x の確率過程のモデルから導出されるゼロクーポン債価格になります。
Vasicek モデルでは、瞬間短期金利 r を確率変数とし、その拡散過程のドリフト項と拡散項の係数をそれぞれ、μ(t,r)=a(θ−r(t)), σ(t,r)=σ と定義していました。これを上の偏微分方程式に代入して解くと、下記のように、Vasicek モデルの所で導出したゼロクーポン債価格の式になります。
P(t,T)=A(t,T)e(−B(t,T)r(t)) 但し A(t,T), B(t,T) を以下のように置く。 B(t,T)=1a(1−e−a(T−t)) A(t,T)=exp[(θ−σ22a2)(B(t,T)−T+t)−σ24aB(t,T)2]Vasicek モデルの説明の所(上級編 “Vasicekモデル”)では、r(t) の確率分布から、さらに e−∫Ttr(u)du の確率分布を求め、正規分布の確率密度関数を使って、一般的な期待値演算の方法で導出し同じ結果に達しました。
他の Short Rate Model でも、同様の方法が使え、実際に偏微分方程式を解く方法でゼロクーポン債価格を導出している文献も多くみかけます。
< 確率変数 x の特性関数 >
ファインマン・カッツの公式で、h(t,x)=0, r(t,x)=0 とおいて、u(t,x) の終期条件を
u(T,x(T))=g(T,x(T))=eikx(T), i=√−1, k∈Rとおけば、
EQ[eikx(T) | x(t)=x]は、下記偏微分方程式の解として求まります。
∂u(t,x)∂t+μ(t,x)∂u(t,x)∂x+12σ(t,x)2x2∂2u(t,x)∂x2=0この偏微分方程式はまさに、コルモゴロフの後退方程式になります。このケースでは u(t,x)=EQ[eikx(T) | x(t)=x] は、お気づきの通り、確率変数 x(T) の特性関数になります。確率変数 x の分布が、正規分布からずれる場合、確率密度関数が解析的に求まらないケースが殆どです。その場合、この偏微分方程式を解く事によって、一旦特性関数を求めます。それを、後ほど説明するフーリエ変換すれば、確率密度関数が求まります。
< 確率変数が x(t) から y(T) へ遷移する確率 >
ファインマン・カッツの公式で、h(t,x)=0, r(t,x)=0 とおいて、u(t,x) の終期条件を
u(T,x(T))=g(T,x(T))=δ(x(T)−y)とした場合、これの条件付き期待値は x(t)からy(T)への遷移確率p(t,x:T,y)になります。(但し δ(x(T)−y) はデルタ関数) すなわち、x(t)からT時にyへ遷移する遷移確率密度関数を p(t,x:T,y) と表記すると
EQ[δ(x(T)−y) | x(t)=x]=p(t,x:T,y)となり、これもファインマン・カッツの公式を使って、先ほどのコルモゴロフの後退方程式の解として求まります。
以上のように、ファインマン・カッツの公式を使って、オプション価格の期待値だけでなく、金融商品の価格計算に必要な、様々な関数も解く事が可能になります。